性教育への想い

私が何故、性教育を伝えたいと思ったのか、何故性教育にこだわるのか・・・。
それはずばり。
私自身が性暴力の被害者だからなんです。

当時の私にもアフターピルの知識はありました。
それでも、突然起こった出来事にパニックになり、警察にも病院にも行くことができませんでした。
あの時すぐに親や友人に相談できてさえいれば・・・。
勇気を出して1歩踏み出せてさえいれば・・・。
今でも後悔しているからこそ、いざという時に性の相談ができる親子の関係性の大切さを伝えたいと思うようになりました。
親子で性の話ができる関係性を築く。
その為には、思春期になってからではなく、恥ずかしさや、間違った情報が入る前の、幼児期や学童期にどれだけオープンに性の話ができたかが大切だと思うんです。
知識はいざという時、自分を守るお守りになります。
その知識を教えてくれたのが親であれば、子どもはいざという時だって、相談することができるはず。
特に今は、情報が溢れかえる時代。
親のスマホでアニメの動画を見ていても、いつの間にかアダルトサイトに引き込まれていたり、小学生になれば親の話よりも、友達からの噂話の方がダイレクトに入りやすくなります。
だからこそ。
できるだけ早い時期から、しかも親の口から性教育を伝えることが必要なんです。
自分の体は自分で守ること、
自分の命も他人の命もどちらも大切な命であること、
自分がどれだけ親から愛されていて、奇跡の連続で生まれてきた命なのかを知ること、
いかなる時も性的同意が必要なこと、
LGBTQ+など自分とは違う個性を認めること・・・。
ブーブーから車、車から自動車と言葉を変化させて教える様に、3才には3才が分かる言葉で、小学生には小学生が分かる言葉で、タイミングがあれば何度でも。
性教育=性行為教育と捉える人がまだまだ多いけれど、ゴムの使い方を教えるだけが性教育じゃありません。
もっともっと、道徳的な人として基礎の部分。
生き物らしい、人間らしい、生物学的な部分。
親は学校に任せたい、学校は親に任せたいと押し付けあっていると、アダルトサイトがフィクションの世界だと気付かずに、「同意の上だと思ってた」とうっかり加害者になってしまう場合だってあります。
「顔見知りだから」、「抵抗しなかったから」、「恋人だから」、同意のない性行為は暴力と同じです。
そもそもこの国は、性の話が、言葉自体が、タブーな風潮。
泥棒にあって大切なものが盗まれたら堂々と警察が呼べるのに、物より大切な体と心が傷つけられた時は堂々と口にできない。
それってよく考えたらおかしいと思いませんか?
被害者が泣き寝入りするから、起こった出来事を隠すから、加害者が逃げ切れちゃうから、痴漢も性暴力もなくならないんだと思うんです。
被害者が被害にあったことを話せる世の中に、被害に合わない方法をしっかりと話しあえる世の中に、私はしていきたい。
悔やんでも悔やみきれないほど失敗した私だからこそ、未来ある今の子ども達には悲しい思いをしてほしくないんです。
まずは大人からです。
どう伝えていいのか分からないなら、子どもの為にまずは知ることから始めませんか?✨
なかなか照れ臭くてアイラブユーを伝えられない口下手な日本人だけど、「生まれてきてくれてありがとう」と伝えることは、子ども達が生きていく上で1番必要なエネルギーとなります。
自分を大切にできる、自己肯定感の高い子どもは、他人も尊重することができます。
性について、一緒に考えてくれる仲間が1人でも増えてくれるといいなと願いつつ・・・。

 

 

これからも地道に性教育を伝えていきたいと思います💗